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唐沢ちあきエッセイ

エッセイ2

車の中でしばしば落語をきく。といっても落語オタクではない。
順番にかかる音楽のCDの並びの中にたまたま落語も入っているので、定期的に車の中で流れてくるそれをきいている、といった程度。数年前、落語好きの知人にぜひにとすすめられ、その噺の数々にはまったクチだ。したがって落語はもちろん好きだが、それについて語れるほど詳しくはないし、寄席に行ったこともない。ただ、そんな人間でも気軽に楽しめるのが、落語の魅力なんだろうと思う。

噺やオチを充分に知っていても、不思議と笑えたり泣けたりしてしまう。何百回ときいてセリフは全部覚えていて、次にこの言葉が来るぞとわかってはいても、その瞬間を心待ちにしてしまう。要はききたくなるのだ。また同じ噺であっても、噺家さんによって演出が違うと、まるで違う噺にきこえたりする。音声を通じて伝わってくる手ぬぐいや扇子の使い方も、それによって表現されている一流の芸を想像すると、一度くらいは生の寄席に行ってみたいと思う。名人といわれる落語をきくのもいいし、自分の好きな噺に走るのも悪くない。とにかくルールなどなくて、好きに楽しめるというところが実にいいのだ。

ただ、困ったことがひとつだけある。車の中できくというスタイルである以上、どうしてもその車中で、大声でわっはっはと笑ってしまうことだ。もちろん笑うことそれ自体はちっとも悪くない。問題は、その車にたった一人で乗っているということ。そしていきなり笑い出すということだ。
例えば信号待ちしているときに、対向車の運転手が、同乗者と話している訳でもなく電話を使っている訳でもないのに、いきなり笑い出すのを見たら、あなたはいったいどう思うだろうか。
ご想像に難くないと思うが、奇異な目で見られたことは数回ではない。だからといって「すいません。いま落語きいてたんですよ。これ、すっごいおもしろいんですよ」なんて言い訳もできないのが、運転中というものだ。
だからなるべく笑いたい瞬間は、そっぽむいてみたりうつむいてみたり、人からヘンに思われないように努力をする癖がついてしまった。妙なものである。

しかしその癖を、何度も繰り返さねばならない事態がやってきた。先月の総選挙の大躍進である。もちろんこの度は、声をあげて笑う訳ではない。しかし、どう我慢してもついニヤニヤしてしまう。投開票日のあと2~3日、車の中では特にそうだった。「あの人気持ちわるーい」と思われないように、こっそりニヤニヤするのも意外と大変なものだ。
改選前の8議席から一気に21議席へ。長野県では過去2番目の得票率で、11年ぶりに悲願の北陸信越ブロックの議席を取り戻し、藤野やすふみ衆議院議員を誕生させた。
「あの雪の降る厳寒の中、みなさんが必死になって1枚1枚ビラを配って、1軒1軒電話で対話して、大きく支持を広げてくれた。だから終盤にかけて、どんどんとその輪が広がっていくのを感じた。当選できたのは、そんなみなさんの努力があったからこそ」と、藤野さんは実に謙虚に心をこめて、支持者と党員への感謝の言葉を口にする。選挙後に佐久でおこなわれた藤岡義英県議の事務所びらきでのこと。その言葉を聞いて、今度はふと泣きたくなったりする。私の感情はめまぐるしい。

投開票日の翌日の産経新聞におもしろい記事が載った。「自民党は勝利を収めたが、その勝利とは裏腹に、安倍首相の表情は終始険しかった。安倍には忸怩たる思いが残る」というものだ。なぜ忸怩たる思いなのかといえば、憲法改正をめぐる国会内の勢力関係が大きく変わってしまったからにほかならない。
なんとしても憲法改正したい安倍首相にとって、第三極はそうはいってもあてになる存在だった。ところが今回、次世代の党は壊滅状態、維新の党は(長野3区は別として)振るわない、みんなの党は消えてなくなった。
そしてそこにきて、わが共産党の躍進だ。これまで十分ではなかった各種の委員会すべてに委員を置くことができ、いままでよりずっと多くの共産党の議員が幅広い領域で論戦に参加できるようになった。そうなると、他党や各省庁への影響力も高まるし、何よりこれからは、議案提案権により共産党単独で法案を提出することができる。結果、野党内の勢力地図は大きく塗り替えられて、首相にとっては仲間が減っただけでなく、敵対する勢力が大きく増えたのだ。厳しい表情になるのも当然だ。

自民の圧勝などではない。むしろ追い詰められているのは安倍側という構図は、選挙前と変わらない。私たちは安倍の本当の狙いである憲法改正をなんとしても阻むために、ひたすら国民との共同をひろげていくのみだ。

(更新日: 2015年01月16日)

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